昨夜もまた、ショウとのメッセージのやり取りが深夜まで続いた。
気がつけば午前二時を回っていて、慌ててスマホを閉じたのだけれど、布団に入ってからも彼との会話が頭の中でぐるぐると回り続けていた。思い出すとただただ嬉しくて、中々寝付けない。
ずっと胸の奥にくすぶっている思いがあって、それが色々なことを考えさせる。『今日はなにか、いいことあった?』
そんな何気ない彼の言葉に、私はいつも心が温かくなる。学校で嫌なことがあった日でも、家に帰ってショウからのメッセージを見ると、それだけで一日の疲れも嫌な思いも吹き飛んでしまう。
そして、ふと、考える。これって、もしかして——。
朝の身支度をしながら、鏡に映る自分の顔を見つめる。相変わらず醜い顔だ。どんなに綺麗に髪を整えても、どんなに丁寧にスキンケアをしても、この顔だけはどうしようもない。
それなのに最近、鏡を見るのがそれほど苦痛じゃなくなった。
間違いなく、ショウのおかげだった。「紀子、朝ごはんよ」
母の声に我に返り、私は慌てて階下へ向かった。
学校への道のりも、最近は少し違って見える。木々が青々と茂り、空には大きな入道雲。春から夏へと変わったことを感じさせてくれる。そんな季節の変化に気づけるようになったのも、心に余裕ができたからだろうか。
気持ち一つで、こんなにも変わることがあるんだと実感する。「神林さん、おはよう」
クラスに入ると、何人かの同級生が挨拶してくれる。以前の私なら、彼らの視線が怖くて俯いてしまっていたのに、今日は「おはよう」と返すことができた。
これも、ショウがくれた変化なのかも知れない。少しだけ、ほんの少しだけだけれど、学校が嫌じゃなくなる気持ち……。
ショウの優しさが、私に勇気を与えてくれている気がする。授業中、私はこっそりとスマホを確認した。案の定、ショウからメッセージが届いている。
『おはよう、NORI。今日も一日頑張ろうね』
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。この感覚が、どうしようもなく恥ずかしくて、愛おしい。顔が火照ってしまい、授業中なのにショウのことばかりを考えてしまう。
昼休み、いつものように一人で屋上に向かった。人目につかない場所で、ゆっくりとショウとのやり取りを読み返す。
彼との会話は、いつも自然で心地よい。お互いの好きなアニメの話から始まって、学校での出来事、小説の話しや音楽の話、些細な日常の愚痴まで。なんでも話せる相手がいるということが、こんなにも心を軽くしてくれるなんて思わなかった。
『昨日、話してた映画、今度一緒に観ない?』
彼からのメッセージに、私の心臓が跳ね上がった。
まさか、ショウまでも「会おう」と言いだすんじゃ……。「一緒に……?」
『うん。同じタイミングで観て、リアルタイムで感想を共有するの。きっと楽しいよ』
なるほど、そういう意味か。ホッとため息がもれる。
会って一緒に観るということではない。それでも十分に嬉しかった。同じ時間を共有できるということが、こんなにも特別なことに思えるなんて。「いいね! やってみたい。そんな風に同じ時間を過ごせるなんて、思ってもみなかった。すごく楽しそう」
『きっと、もっとたくさん共有出来ることがあるはずだよ。映画だけじゃなくて、ドラマとか、アニメとか、小説や漫画も。一緒に色んなことを経験して、楽しもうよ』
「ありがとう、ショウ。私、本当に嬉しい」
返信を送ったあと、私は自分の頬が熱くなっているのに気づいた。
これは、間違いない。
私はショウのことが好きなんだ。 恋をしているんだ。その事実を認めた途端、世界がより鮮やかに見えるような気がした。見上げた空の青さも、雲の白さも、全てがいつもより美しく感じられる。
ふと、胸の奥に小さな不安も芽生えた。
恋をしているということは、いつかは会いたいと思うということ。ショウと会ったら私は嬉しいと感じるだろう。幸せだと思うかもしれない。
でも私は、絶対に彼に会うことはできない。この醜い顔を見せることはできない。私の顔を見て、ショウががっかりするのを目の前で見るなんて、耐えられない。『会わない恋人』
不意にそんな言葉が頭に浮かんだ。会うことのない恋人。それは可能なのだろうか。そんな恋愛ができるんだろうか。
放課後、家に帰るとすぐにスマホを手に取った。ショウからの新しいメッセージが届いている。
『NORI、君ともっと色んな話がしたいな。君のことをもっと知りたい』
その言葉に、私の心は激しく動揺した。嬉しいのと同時に、恐ろしくもあった。
私のことを知りたいと言ってくれるのは嬉しい。でも、本当の私を知ったら、きっと彼は離れていってしまう。この醜い容姿を知ったら、今の関係は終わってしまう。……でも。
それでも。「私も、ショウのことをもっと知りたい」
私は素直な気持ちを返した。
知りたいと思う気持ちは本物だから。『本当? 嬉しいな。今度、電話で話してみない?』
電話。声だけなら、姿は見えない。でも、それでも一歩近づくということに変わりはない。
私の指が震えた。
「ちょっと、恥ずかしいかも」
『大丈夫。僕も緊張するから、お互い様だよ。無理強いはしないから、考えてみて欲しいな』
彼の優しさが、私の心を溶かしていく。こんなに理解してくれる人が、この世界にいるということが奇跡のように思えた。
その夜、私は自分の部屋で一人、静かに涙を流した。
嬉しい涙だった。 ショウに出会えたことへの感謝の涙だった。あれこれと、何度も考える。この関係がいつまで続くのだろうか?
そういう不安の涙でもあった。 恋をするということは、こんなにも複雑な感情を抱えることなのだろうか。胸が苦しいほど嬉しくて、それでいて不安で仕方がない。 普通の女の子だったら、こんな不安など感じないんだろうか。ベッドに横になりながら、私は天井を見つめた。
会えないけれど、恋をする。相手を大切に思って尊重する。それは理想的な関係なのかもしれない。お互いの外見に左右されることなく、純粋に心だけで繋がっていられる。でも、それは本当の恋愛と言えるのだろうか。
「好き」
その言葉を声に出してみた。小さな声だったけれど、部屋に響いた。
私は、ショウのことが好きだ。この気持ちを彼に伝えることはできないけれど、それでもこの想いは本物だ。会ったことのない人を好きになるなんて、馬鹿げていると思われるかもしれない。でも、心は正直だった。
スマホが振動した。ショウからの新しいメッセージだった。
『おやすみ、NORI。今日も君と話せて楽しかった。また明日ね』
「おやすみ、ショウ。私も楽しかった」
返信を送った後、私はスマホを胸に抱きしめた。
会わない恋。
今の私には、それが一番幸せな形なのかもしれない。
たとえそれが、永遠に続かない儚い関係だとしても――。スマホの画面を見つめながら、私は震える指で文字を打ち続けていた。もう何時間も、この一通のメッセージを送ることができずにいる。「拓翔へ。これが最後のメッセージになります」 削除して、また打ち直す。何度繰り返しただろうか。でも、もう私は決めていた。この関係を終わらせると。 昨日から、拓翔は必死に私を慰めようとしてくれている。『写真を見たけど、紀子は僕が思っていた通りの優しい人だよ』『容姿なんて関係ない、紀子の心が好きなんだ』『今度こそ、直接会って話そう』と。 優しい言葉の数々。きっと、彼は本当にそう思ってくれているのだろう。でも、その優しさが、逆に私の心をえぐるのだ。 私は醜い。それは紛れもない事実。鏡を見るたびに、自分でも嫌になるほどの容貌。そんな私を見て、本当になにも感じないなんてことがあるだろうか。きっと、拓翔は優しいから、私を傷つけまいと嘘をついてくれているに違いない。「拓翔、今まで本当にありがとう。拓翔と話してきた時間は、私にとって宝物でした。でも、もうこれで終わりにします」 送信ボタンに指を置いたまま、動けない。これを送れば、もう二度と拓翔と話すことはできない。この数カ月間、私の心の支えだった彼との関係が、完全に終わってしまう。 けれど、あんなことがあった以上、もう続けることはできない。現実を知った今、このままでは私たちの関係は嘘になってしまう。 私の指が、送信ボタンをタップした。 震える指で、続きの文字を打つ。「会わない恋人なんて、やっぱり無理だったんです。私たちは画面の向こうの存在のままでいるべきでした。リアルな私を知ってしまった今、拓翔が私に向ける優しさは同情でしかありません」 涙が画面に落ちて、文字が滲む。「私は、あなたに同情されるのが辛いんです。本当の恋人同士だったら、こんなことで関係が変わったりしないはず。でも私たちは違う。画面越しの、美しい幻想の中でしか成り立たない関係だったんです」 ここで一度手を止める。本当にこれでいいのだろうか。拓翔の気持ちを信じてみることはできないのだろうか。 何度考えても無理だ。彩音
翌日の朝、私は昨夜の出来事が夢だったのではないかと思った。 拓翔との電話。お互いの愛の告白。改めて、恋人として付き合っていけるという現実。 すべてが信じられないほど美しくて、温かい。 学校に向かう道のりで、私は何度もスマホを確認した。拓翔からの『紀子、おはよう。愛してる』というメッセージが、本当にそこにあった。「おはよう、拓翔。私も愛してる」 返信を送ると、すぐに返事が来た。『今日も一日頑張ろうね。紀子がいると思うだけで、なんでも乗り越えられる』 その言葉に、私の心は温かくなったのと同時に、不安もまた大きくなった。 教室に入ると、昨日のことを思い出して足がすくんだ。彩音はもういつものように席に座っていて、私を見ると意味深な笑みを浮かべた。「おはよう、神林さん」 彩音の声は昨日と変わらず甘い。でも、その目には昨日と同じ冷たい光があった。「昨日はごめんなさいね。ちょっとやりすぎちゃったかな?」 彩音の謝罪は、心がこもっていなかった。私は彼女を無視して自分の席に向かった。 休み時間になるたびに、私はいつものように、こっそり拓翔とメッセージを交換した。昨日、お互いの気持ちを確認し合った。そう思うだけで、胸がドキドキした。『紀子、大丈夫? 昨日のこと、学校でなにか言われてない?』 拓翔の心配そうなメッセージに、私は少し罪悪感を覚えた。「大丈夫。拓翔がいるから」 本当は大丈夫じゃなかった。今日は彩音になにもされていないけれど、クラスメイトたちの視線が気になって仕方がなかった。昨日のことで、私を変な目で見ている人もいる。 昼休み、拓翔から電話がかかってきた。私は人目のない場所を探して、階段の踊り場で電話に出た。『紀子?』「うん」『声を聞けて安心した。今日は大丈夫?』「大丈夫」 私は嘘をついた。本当は辛くて仕方がなかった。クラス中が敵のように思えるほどなのに。『本当に? なんだか元気がないみたいだけ
僕は部屋で一人、スマホの画面を見つめていた。 数時間前に送られてきた写真。そして、そのあとに続いた紀子からのメッセージ。『ごめんなさい』『これが、本当の私です』 写真の中の少女は、確かに一般的な美人とは言えなかった。でも、僕が感じたのは失望ではなく、むしろ安堵だった。 なぜなら、僕自身も容姿にコンプレックスを抱えていたから。小柄で、クラスメイトからは「チビ」とからかわれ続けてきた。 紀子が美人だったら、きっと僕なんかには見向きもしなかっただろう、そう思うとホッとしている自分がいる。 でも、それ以上に僕の心を動かしたのは、紀子の勇気だった。 あんなにも自分の容姿を嫌がって、会うことすら躊躇っていたのに。 自分の一番見せたくないだろう部分を、僕に見せてくれた。それがどれほど辛いことか、僕には痛いほどわかる。 それなのに、紀子はどうして突然、写真を送ってきたんだろう。「紀子、話そう」 僕はメッセージを送った。返事は来ない。 もう一度、メッセージを送る。「紀子、今から電話で話さない?」 僕は思い切って提案した。今まで文字でしかやり取りしたことがなかったけれど、今はどうしても声が聞きたかった。 日曜日に電話をする約束をしている。だけど、その前にどうしても話したい。 スマホが震え、紀子から返信が届いた。『ごめんなさい……私は拓翔に嘘をついてた』「そのこと。ちゃんと話そう。二人で」 しばらくして、チャットアプリの着信音が鳴った。僕は慌てて電話に出る。「もしもし」『あ、えっと……』 紀子の声は小さくて、震えていた。でも、とても優しい響きだった。「紀子?」『うん』「初めて声を聞けて、嬉しい」 文字とは違う言葉のやり取りに、胸の奥が温かくなってくる。 電話越しに、小さなすすり泣きが聞こえた。『拓翔、本当にごめんなさい』「なんで謝るの?」
「やめてよ……」 私の声は掠れていた。彩音の最後の言葉が、私の心臓を鷲掴みにしている。「本当のことを教えてあげない?」 その言葉の意味を理解した瞬間、私の世界が真っ暗になった。 彩音は私が醜いということを、拓翔に伝えようとしている。「お願いだからやめて! なんでそんな酷いことをするの!」 私は彩音に向かって手を伸ばした。でも、彩音は私のスマホを高く掲げて、私の手の届かないところに持っていく。「神林さん、そんなに必死にならなくてもいいじゃない」 彩音の声は甘いけれど、その目は冷酷だった。「酷いことだなんて、相手の人も知る権利があるでしょ? 付き合ってる人がどんな顔なのか」「付き合ってない!」 私は叫んだ。でも、それは嘘だった。少なくとも私の心の中では、今は拓翔と恋人同士なんだから。「へえ、そうなの? じゃあ、なおさら問題ないじゃない?」 彩音は私のスマホの画面を操作し始めた。私は血の気が引いていくのを感じた。「なに……してるの?」「写真を撮るのよ。神林さんの可愛い顔をね」 その瞬間、私は理解した。彩音がなにをしようとしているのかを。「だめ!」 私は彩音に飛びかかった。でも、彩音は素早く身をかわした。私はバランスを崩して、机に手をついた。「みんな、手伝って」 彩音がクラスメイトたちに向かって言った。彩音と仲が良い何人かの生徒が私を取り囲む。私は逃げ場を失った。「もういい加減にして! スマホを返してったら!」 私は涙声で懇願した。でも、彩音は聞く耳を持たなかった。「はい、こっち向いて」 彩音は私のスマホのカメラを私に向けた。私は必死に顔を隠そうとしたけれど、クラスメイトたちが私の手を押さえた。「神林さん、そんなに嫌がることないじゃない。ちょっと写真を撮るだけよ」 彩音の声は、まるで私のためを思っているかのよ
翌日、昼休みの教室で、私は一人で弁当を食べていた。いつものように隅っこの席で、できるだけ目立たないように身を縮めて。「ねえ、神林さん」 突然声をかけられて、私は箸を持つ手を止めた。振り返ると、またしても彩音が立っていた。その美しい顔に、いつもの意地悪な笑みを浮かべて。「なに?」 私の声は震えていた。昨日のことがあって、こんなふうに話しかけられても、警戒心しか湧いてこない。「昨日からみんな、ずっと気にしてるんだけど、神林さんってネットの恋人とメッセージのやり取りをしてるでしょ?」 そう言って、彩音は私の隣の席に勝手に座った。周りのクラスメイトたちがこちらを見ている。私は急いでスマホを隠そうとしたけれど、その手を掴まれた。「みんな、内容が気になるんだって」 彩音の声には、悪意をまとった響きがあった。クラスメイトたちのほとんどが、私と彩音のやり取りを見ている。「そんな……みんなが気にするようなこと……なにもないから」「へえ、そうなんだ」 彩音は立ち上がると、私の後ろに回り込んだ。そして、突然私の肩に手を置いた。「でも、今日も授業中こっそり見てたでしょ? 今度、先生にバレたら大変だよ?」 その瞬間、彩音の手が私のスマホに向かって伸びた。私は反射的にスマホを胸に抱え込む。「触らないで!」「なに隠してるの? そんなに必死になることないじゃない」 彩音の声は甘いけれど、その目は冷たかった。私は立ち上がって彩音から距離を取ろうとしたけれど、彩音は諦めなかった。「みんな、神林さんがチャットのやり取り、見せてくれるみたいよ」 彩音の声が教室に響くと、周りのクラスメイトたちがざわめき始めた。私は顔が真っ赤になるのを感じた。「やめてって、何度も頼んでるじゃないですか」 私の声は涙声になっていた。でも、彩音は止まらない。「そんなに隠すなんて、よっぽど恥ずかしいメッセージを送ってるとか?」
一夜明けて、私は重い足取りで学校に向かった。 昨夜は一睡もできなかった。彩音に秘密を知られてしまったことが頭から離れず、拓翔とのメッセージのやり取りも、いつもの楽しさを感じられなかった。『紀子、今日は大丈夫? 僕はずっと君のことを考えてた』 朝一番の拓翔のメッセージに、私の心は少しだけ温かくなったけれど、不安のほうが大きかった。「正直、怖い。桧葉さんがなにをするかわからないから……」『なにかできることはないか、って考えてるんだけど、いい案が思いつかなくて。話を聞いてあげることしかできなくて、本当にごめん』「拓翔が謝る必要なんてないよ。考えてくれていることが嬉しい」『もしなにかあったら、すぐに連絡して。僕もなにか方法を考えるから。一人で抱え込まないで。いいね?』 拓翔の優しさが、今は逆に辛い。彼にはなにもできないことがわかっているから。それでも拓翔を安心させたくて「うん」と返事を送った。 教室に入ると、彩音はいつものように友だちと楽しそうに話していた。私と目が合うと、彼女はにっこりと笑って手を振った。 その笑顔が、私には悪魔の微笑みに見えた。 一時間目の授業が終わると、彩音が私の席にやってきた。「おはよう、神林さん。今日も彼氏とメッセージしてるの?」 小さな声だったが、その言葉に私は凍りついた。クラスの誰かに聞かれたらどうしよう。「そんなの……桧葉さんは気にしないでください」「昨日はごめんね。でも、本当に面白いものを見せてもらったわ」 彩音の目が意地悪く光る。「お願い、誰にも言わないで。お願いだから」「う~ん、どうしようかなぁ……」 彩音は指を唇に当てて、わざとらしく考えるポーズをした。 意地悪なことを言っているのに、そんな顔も仕草も綺麗に見える。「それにしても、神林さんって意外と積極的なのね。『愛してる』なんて、恥ずかしいセリフをメッセージで送り合うなん